公理に準じる体系は美しいと言えるが
それに頼りすぎると徐々に歪んでいく
歪みを正すのは観測事実であり
物理に不完全な公理(射影仮説やボルン則など)を持ち出すと事実に反することを平気でやり始める
現実で集合論(⊃や⊂)を使うと歪んでいくように数学でしか通じないことも多い 分かったら面白いが分からないと面白くないもののツートップが数学と物理学だ 形相理論を学ぶ理由とは体系化することで横槍効果(想定外の効果)が生まれることである
数学と哲学の間の理論と言える 論理的距離とは写像が何回存在するかを指し示す
例えば、赤いさくらんぼから黄色いさくらんぼへの写像は一回である
遺伝子組み換え×赤いさくらんぼ→黄色いさくらんぼ
である @
驚異を抱く程に頭がいい人間は
自分の【悪いところ】を探す天才。
コミュ力が低いとか、勉強ができないとか、顔面がキモいとか、ビジネスの才能がないとか、女からモテないとか、
自分の悪いところを『平気で』探しまくる。
そしてその悪いところを、血まみれになりながら修正していく。
この圧倒的な【プライドのなさ】が、
究極的に頭がいい人間がエグいスピードで成長する理由。
自分の悪いところを探して、他人の良いところを探す。
こんなん成功して当たり前。 @
演習問題解けないやつが物理分かってるわけねえだろバカヤロウ 大学数学はとにかく新しいことを試す
そして新しい問題や証明にチャレンジできるのだ
真に高尚な数学は計算したがらないのだ 複素幾何って高次元の幾何学という感じだな
射影代数多様体、カラビヤウ多様体、FANO多様体は4次元以上である 四次元以上の幾何学はコンピュータプログラマーにも打ち勝つほどの想像力を持つ 遠アーベル幾何学はアーベル拡大と異なる非線形の整数論の深層まで到達しうるため京都大学数理解析研究所が世界的に注目されている
IUTの主要理論としても着目される
環の修復がABC予想解決の要となりうるかも知れない 物理は伸び代が怪しいが数学は伸び代がある
遠アーベル幾何学でまだまだ伸びるがIUTを見ても理解できる人が少なすぎる
これから整備されていく分野として注目株だ どうして幾何学から整数論や方程式の概念が出てくるんだろう
幾何学は不思議でいっぱいだ
楕円曲線で素数が見つかったりもするしな 遠アーベル幾何で群環体を表現することであらゆる応用ができる 科学大、磁性量子気体で「アインシュタイン=ド・ハース効果」を初観測 5chには5chの生き方があった
巷で話題になろうとしてもどこで話題になるかで違う 勉強すると古典ばっかりやらされるな
たまには最近の話題についていきたい 20世紀前半の勉強はウンザリだ20世紀後半の勉強がしたい 個人的に美しい証明はピタゴラスの定理だわ
数学者なら誰もができる最も美しい証明になれるんだろうな 何にも思いつかない日こそ何かがある
量より質である 本当の無になったとき素晴らしい発想に出会える
何度でも言う 理解とは壁を乗り越える力である
日々勉強する習慣だけでは身につかない 中身がなくても有名人になれるだろうか
例えば実力がない人がひょんなことから有名人になったとして
実力がないゆえに有名人から無名人に転落しないだろうか 理解力は勉強の習慣だけではどうしようもないもの
理解力を大事にしよう 令和は龍(天衣無縫)より虎(計算高さ)を目指している センスはマイナーなものからメジャーなものに落ち着いていく
Twitter→Xなど ガロア群の表現論=ガロア表現+類体論+遠アーベル幾何学
=ラグランズプログラム 哲学を語ろうとせず政治ばかり語りたがる哲学者なんて
1円の価値も感じないな エルランゲン計画って群論で幾何学を記述しようとする計画だっけ
代数幾何学は可換環論で記述されたが いずれは計算高さが天衣無縫を上回る
それが庶民の知恵だ 応用数学やってるつもりが純粋数学にのめり込んでいるな
表現論(ラグランズプログラム)って数学のための数学という感じだ
群コホモロジー、エタールコホモロジーとかどうやってフェルマーの最終定理の証明に至ったのか
圏論も数学のための数学がコンセプトで応用数学者の居場所じゃないな
横槍効果に期待したいが体系がブクブク太っているようにしか見えない
数学のための数学から離れたい
フェルマーの最終定理も横槍に期待できないな くっそー
どうして書き込みがないんだ?
ワイの理解力は評価されないのか?
表現論にハマって以来こんなのばっかやな
もっと横槍がないと純粋数学になってしまう
応用数学の華はどこへ 横槍効果が重要かなめ
どうしてナビエ=ストークス方程式の微分方程式は解けないのか
数学の問題ではなく物理の問題だからかも知れない 各界隈でアイディアが不足している
数学も伸び代なかった 数学の問題は定理の証明より簡単
定理の証明は天才のもので問題は凡人のもの 遠アーベル幾何学で環の修復するとABC予想やフェルマーの最終定理が簡単に解けるって本当? 環の修復のようにゲームを修復するのはどうだろう
ゲームの戦闘を飛ばして非戦闘シーン(ストーリー)のみを追っていけばストーリーの復元ができるのではないか
同じく移動シーンを窓写像のみを残して復元すれば重要なシーンのみを追っていける タイパにおいてゲームの修復(ストーリーのみの繋ぎ合わせ)は重要な事だ @
会社には「頭が良くて、会社のダメなところを論理的に指摘できる人」がいるけど、残念ながらその人は出世しない。
なぜなら、経営者が求めているのは「欠陥を指摘する評論家」じゃなくて、「欠陥をガムテープで補修しながらでも前に進める実務家」だから。
「ここがダメです」と言うのは誰でもできる。でも「ダメだから、私がこう直します」と言える人は100人に1人もいない。
皮肉なことに、ビジネスの世界では「賢く批判する人」より「バカになって手を動かす人」の方が、圧倒的に市場価値が高くなるという事実があるんです。
もし自分の賢さを批判に使ってるなら、それを対案に変えるだけで、評価は一変するはずなんです。 高校数学してると頭良くなっていくが
大学数学してると頭悪くなっていく
数学界隈では頭悪く手を動かす人が出世する 群環体論の表現して群論マニアを脅かす
群論の応用範囲の広さを十二分に活かすことができる 手を動かすとは頭脳と体が連動しているのだ
頭が切れる人は体が上手く動く人